ぽたぽた、キラキラ。
こどもはスポンジ
こどもたちを相手にする仕事をしていると、子どもから見えてくる親や周りの環境の影響の深さにはっとさせられることが多いです。
満たされている子は、どんなにぶーぶー言っていても満たされている顔をするし、満たされていない子は、いつもにこにこ笑っていい子でいても何かを抱えているのがはっきりわかる。
幼児教育の場にいると、「こどもはスポンジみたいになんでも吸収する」とよく言われるけれど、まさにそうだなぁと思います。
勉強だけでなく、そこにある雰囲気も空気も全部ぐんぐん吸収していく。
そして、こどもをぎゅーっと抱きしめると、その吸収した全てが見事に滴り落ちてくる。その落ちたものの中には「こんなものを抱えていたの?」とびっくりするような黒い水だって混ざっていることもあるんです。
ギフテッド/gifted
フロリダの海辺の街で、ボートの修理をして生計を立てている独り身のフランク。彼は、天才数学者だったが志半ばで自殺してしまった姉の一人娘、メアリーを養っている。彼女は、先天的な数学の天才児“ギフテッド”であり、周りは特別な教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリーを普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリンが現れ、フランクとメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく——。
「gifted」という表現
英語を勉強していると、日本語の表現の豊かさに「ああ、日本語っていいなぁ」と思うことも多いのですが、それは英語もしかり。
この映画のタイトルである「gifted」ですが、簡単に言えば「生まれながらの天才」という意味です。
ただ「天才」と表現するのではなく、それは「贈り物」であるという表現をする英語を、ああ素敵だな、と改めて思いました。
この「gifted」ですが、日本では対応出来る環境も少なく、世界的に見ても、協力的である国とそうでない国があるようです。
それを「レール」にするか、「可能性」にするか。
映画では、女の子のおばあちゃんがその子のギフテッドと言われる才能を伸ばすため、「良い」環境を提供すると申し出ます。
今の学習環境がその子に合っていない、というのは事実なので、「良い」環境で勉強していくことが女の子のフラストレーションをなくしてくれることは確か。
眠っている才能をそのままにしておくなんてその子のためにならない、という考えからのことなので、それ自体はおばあちゃんのエゴとは言えない部分でした。
ただ、ここで大事なのは、その「良い」環境を、「レール」にするのか、「可能性」にするのか、ということ。
その「良い」環境は、人生を選択肢が多い幸せなものにしていくための「可能性」を広げていくものにもなり、その一方で、一度乗ったら外れることは出来ない、許されない高速列車のような人生の「レール」になるものでもあるんです。
どちらにもっていくのかは、身近な大人次第。こどもは、こどもの頃はひとりで進むことは出来ないから、大人が「こっちだよ」と教えてあげるしかない。
こどもにどう接していくのか、どう誘導してあげるのか。
大人に課せられた課題は本当に大きい。
こどもであることに変わりはない
小さい頃から、周囲の大人がびっくりするような才能を見せていたとしたら、多分、一般的なこどもに接する接し方とは少し違う接し方を誰もがしてしまうんじゃないかな。
なんというか、、「大人」として見てしまう、接してしまうような気がするんです。
でも、もし、その子がどんなに天才でも、どんな「gifted」でも、こどもであることに変わりはない。
ぎゅーっと抱きしめて、愛情をたーっぷり伝えて、その子を満たしてあげるのが、周りの大人たちの役目。
抱きしめたとき、黒い水ではなく、キラキラした水がぽたぽた落ちてくるような、そんな環境に置いてあげたいです。
あとがき
私が関わっていたこどもたちの中にも、小さい頃から数えきれないくらい多くの習い事をしている子たちがたくさんいました。
「月曜は〇〇で、火曜は✕✕で、水曜は△△で…休みは土曜の午後しかないの!」なんてあっけらかんと言ってくるので、驚くことも多くて。
それを嬉々として楽しんでいる子もいましたが、そんな忙しい毎日にほんとうにぐったりしていつも眠そうにしている子も。
幼児教育や早期教育の是非が問われている近年ですが、それを「レール」にすることだけは絶対にしたくないし、してほしくない。
ただ、「レール」と気付けないで「可能性」と信じている大人が少なからずいるのも現実です。。
育児も教育も、本当に難しい。
コメント