強さを、持っていなければ。
“ふつう”が正義な世の中
小さい頃、”ふつう”への疑問がたくさんあった私。
“ふつう”なら気にしないことや見て見ぬふりをすることに対しても、「これっておかしくない?どうしてみんな何も言わないの?」「みんながやらないのなら私がやる」と、だだだだっと走り始めるんですが、結局”ふつう”の壁に阻まれて進めなくなってくじけてしまう。
「なんで、なんで、なんで」とジタバタしてみるんですが、ぐるぐると取り巻いている”ふつう”は自分が思っている以上に強くて、ひとりじゃどうにもならなくなってしまう。
大人になるにつれて、”ふつう”に対する疑問を諦めるようになって、自分を”ふつう”にするようにしてから、苦しくなることは少なくなりましたが、果たしてそれが良いことなのかは今でもわかりません。
“ふつう”をやめるという決断とその強さ
“ふつう”をやめる決断をし進んでいく、「Horizon-Labo」という珈琲焙煎店のオーナーとその家族のインタービューを元にした書籍です。
正しくありたい、と毎日思っていた。そして、中学生の僕は、いつも正しくはなれなかった。
この一行に、私は心がぎゅうっとなりました。
「正しくありたい」と、私も、いつも思っていたから。そして、「正しく」はなれなかったから。でも、”ふつう”にして毎日を生きている今も「正しくありたい」と気持ちのどこかで思っているから。
岩野さんの「正しい」と私の「正しい」は、少し意味は違うけれど、この一行で色んなことがフラッシュバックしたんです。
そして改めて思いました。”ふつう”って何?
「アスペルガー症候群」という個性
岩野さんはアスペルガー症候群という発達障害を持っています。それが原因となり、学校で”正しく””ふつう”でいることが難しくなり、学校に行くのを辞めました。
私の身近にもアスペルガーの子がいるので、今まで色々な本や記事で特徴や対応について調べたりしていました。それでも、「アスペルガー症候群」というものがよくわからなくて。その子と接していても、私には「強い個性」としか思えなかったんです。
でも、「テスト」の章を読んで、なんだか妙に腑に落ちました。「あぁ、こういうことなのか。」と。
周りで見ている人よりも、本人のほうが「強い個性」に振り回される。でも、それを妥協することも出来ないし、見て見ぬふりをすることも出来ないし、それ以外も見えない。
色々な本や記事でアスペルガーについて調べていたときとは違う、「あぁ、そうなのか」という納得感がとてもありました。
だから、”ふつう”でいることが、難しくて苦しくて、”ふつう”が正義とされる社会で生きていくには、その自分の「強い個性」と向き合って付き合っていく方法を一生懸命探すしかないのです。
“ふつう”をやめる強さ
本は、”ふつう”が苦しくなってから、”ふつう”を辞め、「強い個性」を伸ばしていく今、について父、母、岩野さんの3人の視点で書かれています。
“ふつう”を辞めるに至るまでも、辞めてからも、きっと色んな葛藤などもあったのだとは思うのですが、私は、シンプルに「強さ」を感じました。
なんていうか、巷にあふれている強さ、ではなく、「真摯に生きる」強さです。
発達障害を乗り越えて学校を辞め珈琲焙煎店をオープンさせた、ということが取りざたされてテレビなどで取り上げられていましたが、そういう背景じゃなくて、岩野さん自身にその「真摯に生きる強さ」をとても感じたのです。
私も、本当は、そうなりたい。
“ふつう”に疑問を持って、自分の思う方に走ろうとして、”ふつう”に負けて、結局自分には蓋をして”ふつう”として生きている私。
“ふつう”への疑問感を、見て見ぬふりをして。その方が楽だから。
“ふつう”が正しい世の中、それを辞めるには相当の強さがなければいけないし、辞めることを続けることも、強くなければ出来ない。
私には、岩野さんが、私の持っていた(持っている)”ふつう”への疑問感の上を凛と歩いているように見えました。
強さを持って、凛と歩く。”ふつう”を生きていたら出来ないことです。
あとがき
アスペルガーという言葉がきっかけで手にとった本。でも、発達障害うんぬんの話じゃなく、自分のあり方について考える時間になった本でした。
“ふつう”でいることに疑問を持つ瞬間があるのなら、”ふつう”から抜ける強さを持って生きないと。
“ふつう”に生きることが普通になってしまわないようにしていきたいものです。
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